2009年05月12日

4月武専

今回は大阪武専の大崎先生の講習

術科での先生の技は相手との
すれ違い様に崩す省エネ術がたくさんあった

コレは本部講習での山崎先生的技である

開祖もふっと、喧嘩の中に入って出てきたら、
みんな倒れていたと同じ

何もやるかー、負けないぞとやる必要はない

まあまあと、興奮させずに ふっと倒してしまうことが望ましい

お互いの力関係が発するまえに
相手と自分の力を無力にして崩してしまう

ヒントはイロイロ見つけて自分の物にしていこう
片手、両手、諸手、つかまれた位置と力の方向を感じることが
崩しの方向をみつけていける

基本はつかまれたら相手の肘を落とす

そんな豪快な技ではない、あれ〜と 思ったら崩れていく

子供達や大人さえも、楽しみながら習得していける

今回は力まず、柔かく、日常感覚が よかっyた
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2009年01月17日

12月武専

高知、門屋先生

態度や行動で示す事の重要さ
多くの人は、人には指示するが、自分は曖昧になる事が多い
そして、まず自分が示し相手の立場にたっての目線が大切

開祖の語録から大切なポイントをおっしゃられた

自分に当てはめて、まだまだ自分こそが曖昧だなと反省


前多先生の教範学習 法形の意義

先生の話はいつも興味をそそる、会話術である
少林寺拳法の法の持つ意味は
法は目的の為の共有、互いのバsランスを整える

何故少林寺拳 法なのか!形という書意なのか
もう一度考えてみよう

法はその教え、ダーマの真理たる方向である
それがゆえに互いに求め合い、支えあう、そして目的にまい進すべく

形はその意として、変わらない、道はイロイロあるが、形は目的の為の
道筋、変わらないこそその真理と、目的に迷う事なく到達してゆけるものである
そしてその形や法は一夜にして出来たものではない、長年の開祖や先人たちの積み重ねによって形で、間違いのない、意味のある真理である

門屋先生の

実技は強固、柔軟といえる攻撃線の強い魅力的な技である
崩しからの素早い投げや外し、突きや蹴りにしても相手のスキや、反撃要素を一瞬でも与えない技である

攻撃力のポイントや崩しの理論が素晴らしい、最近は復習に自分の手法を沢山取り入れることが出来るようになった

同じレベルには誰もがすぐにでも到達できない、一つの理念を崩して自分なりに、組みなおして幾事が大切である

少林寺拳法は何処まで深いのか突き進む興味が又沸いてきた
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11月武専

熊本 古賀先生のリダー論は
信頼信用を造るためには、まず相手を信用する事から始める
有言実行で約束や自分の行動、言葉に責任と実行が不可欠である
そして先の見通しと急な変化に起こる対応できる読みを日ごろから
見につけることが大切で

まさに法形の中に其れがあるし見つけていかねば、」意味が無い
とおっしゃってた

前多先生の圧法は相変わらず普遍的である、脳活の再生の秘攻は
わかりやすく、ずいぶん日ごろからの実になる

何が一番というと、先生の会話術である、常に親近感が持てるザックバランな言葉と要所を押さえた無駄のない言葉には誰もが好感うぃ抱くのだろう

圧法研究会も毎回神戸や他県から何人もの研究生がs段かしているようだ
自分も一応研究助会員なので参加をして行きたいのだが、なにせ時間があわない

実技は奈良向田先生
先生の技はまず使えなければ意味が無いとした、実践的な法が凄い
近距離からの相手の連攻や攻撃線を難なくかわしの引き身や運足の使い方で素早く受けいなし反撃に出る

武専生徒ですぐに出来る人はいないようで、皆もたもたになっている
ただ殴りあいや、蹴りあいの武ではこんなことがないが、少林寺拳法の護身を用いた考え方だと、こういった瞬間の攻撃の瞬間的に身体反応を常に用いることで、守り反撃していけるのだと思う、自分もこんな系統で研究mしているので、ためになる

何もやるかー!おう、掛かって来いの世界ではない、瞬時の強姦にも常に、瞬間的に制する技の世界を目指そう

古賀先生の柔法はなんか、力が抜けたような、全然こっちが力を入れても だまされたようにフワーッとかわされた、これはなんだろう

ポイントはわかるのだが、まだ100年早いみたいだ
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2008年10月11日

9月武専

.武専日記

名前:九竜 日付:9月7日(日) 19時51分
本部講師は舞鶴の清野先生は森道期先生の弟子だそうで、自分も森先生式の柔法を目指しているので、今日は探求心と好機心でいっぱいの日になった、
先生は時間と空間を大きな視点で捉えていくとダーマに繋がる、一つのことや一つの考えさえもその根源を探求していくと宇宙になると、
技の探求、修練もその人の持つ可能性は大きな極めや悟りに繋がる
其れは自分自身の大きな心の変革に繋がる、そして自分が変わる事で進化した自分に出会う、
金剛禅の教えはそんな技の修練を通じて己の自己改革と相手とのつながりや、思いやりによって、社会に役立つ人つくりになって行くものでなかろうか、と行った法話であった

技術についてはそのセオリをしっかりわかって、やることの重要性を説いていた、一つの基本を間違いなく伝える、判る、こんなことさえ、中途半端にならないよに
送り小手の」ベースポイントを見本に説明なされた、
巻きぬきからのの小手抜き、重要ポイントである
指二本で崩していた、

今日の本科科目は自分の研究課題の、外巻き落とし、巻き落とし、襟抜き、木の葉送り、木の葉返しなどで、自分の得意とする技系

崩しや落としの意味がわかっても、投げるとこまで皆いかない
自分は投げまでは行かないが、外し、崩し、落としの理をもっているので 今日は皆さんを相手に沢山放り投げさせてもらった、

特に自分くらい大きな相手、体重は自分より重い、相手を何回も投げた
のは 今日の花丸である

先生は崩しのポイントだけさりげなく説明されていたが、これは技の先入観を混同させないように、基本の指摘になっていたのだるう

大いなる今日の収穫

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7月武専

武専講師

昨日の実技での講師で能登織平先生と、鹿島宮田先生の片手投げは興味深いものがあった、基本の理の応用ではあるが、崩しとの関係と支点を感じさせない投げの法、技は常に実でケースバイケースなので其の応用を身体に入れとかねば始まらない、練習の数と相手の数、アイディアの数の整理に尽きるだろう
良い理解者になるべく相棒、同士との練習に尽きる


628.武専

名前:九竜 日付:7月14日(月) 16時48分
最近の実技講習では其の技のコツや科学といった所がイロイロ見えてきた、技の形体を分けていくとそれぞれに、共通した攻めるポイントが見えてくる、なんだ 簡単ジャンとなるが、技のケースバイケースになれるための練習の数、相手との数が必要である

最初から教えてくれればよいのにと思うが、技の基本の形をしっかり出来ないと意味がないのかもしれない

兵庫県からの本部講師、中山先生も改革の年とした講義の中でグローバル化してきた現代社会において、一個人や一国ではまかなえない、回らない現状をどう打破していくのか、其のなかには変らなくてよいものと変って行かなくてはならないものを敏感に捉えて行く、触覚を鍛えようといった、講和であった

1つの練習の中にも適当にとか、かなり本気とか、自分的にすます人もいてなかなか練習の中での意味合いを交換しにくい人もいる

常に謙虚な姿勢で取り組む先輩も見受けられる

各科ではそんなことはないように和気藹々と見える、一歩踏み込んだ互いのよさを交換できる平均値が武専には必要、

武専の活性化が少林寺拳法の普及におおいに役立つとおしゃっていらしゃった

次の100年に向けて

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2008年06月02日

武専日記追伸

昨日の先生の実を鍛えよ、乱捕に使える技取得、教範学習の社会的人の軸がずれてきているを考えてみた、

確かに出来る技を鍛えることは必要ではあるが、人としての心を完成させていく段階でよもやすると、技や力の方が先走ることにならないか

乱捕に行くまでの修行のしかたに工夫が居る、なにを修行するのか

例えば修行する形体の武もある、戦わずしても修行できる
徹底的に鍛えて戦い抜く武もある、しかし皆が皆同じ方法で目標を持つことは難しい

優れたこの自分たちの武は戦わずとしても、護身と言う守れる武の完成の修行の線上を見ていけば、そこには人としての金剛禅のもつ意味合いが開けてくる

人であるが上に生きていく上での理想的思想の現実化の実戦と考えるとなにが大切で、なにが足りないかが見えてくる

乱捕という言葉のつかみ合いが、錯覚をおこす

開祖が本来求めたのは、戦うではなく、徹底して守りぬけるだけの高度な技の完成の修行の仕方ではないだろうか

修行の道を誤るなとなってたはず

人の質、小さな一粒種の人作りがやがて、いく万の人の質を生み出す
自分の姿勢、生き様によって示す、行ではないか。
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武専日記

今日は福岡、行橋美夜古道院の尋津先生の講義、先生の理論、実技ともに実を持った修練をせよだった、若い世代が今の少林寺拳法を作ってきて、その後がつずかない、世代の若返りとしてリーダーになるべく人材は実を鍛えろ、少林寺らしい乱捕りの修練を欠かすことなかれと、一貫した修行の仕方を説いていらしゃった、

科目表に沿って覚えるだけの技、使えない技、それでは次の世代が育っていかない、実として使える技の乱捕りをやろう

技も上体技ではなく、少林寺らしい流体技の使い方を研究、しなさい
今日の実技では恐れず入身していく、先生の技に興味をもった

そのすべを覚えれば少林寺の技はみんな一緒に考えることが出来る
先生らしい行動的な実を持った技の解釈、自分もこんな風に考えてきたところがあるが、それを日頃の練習であまりやると、皆の練習にはなっていかない、そこんとこが難しい

教範学習では金剛禅を修行するための、自分心構えを常に自分に問いかけていかなくてはならない、その象徴が卍の中に表されていると
特に最近社会の人間の軸がずれてきて、人としての質がなくなってきている、ことが多い
悲しい事件が多い

今日は久しぶりに後藤先輩の胸を借りた、感謝いたします
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2008年04月24日

子供達の基準と視線目線


日付:3月17日(月) 20時33分

昨日の武専教範学習での前多先生の講義は子供達への指導についてだった、

時代的に今の子供達の家庭環境で何ができているか、何が出来るかを認識して指導していこう、

物の有り余る与えかた、子供を叱らない親、子ども自身の社会観念が低い、自分以外への責任認識が低いということだった、

では自分達指導者を目指す拳士はどう対応しなければなrないか、
マズは道場と言う社会に自分をどう位置ずけさせれるか、そのためにはルールをしっかり認識させ、ハズれたら、叱る、何故叱られているかをはっきりつたえる

少年部では修練の中で運動能力の順応性と敏捷性を中心に鍛えることが大切

筋肉や身体を鍛えるのは高校2年くらいからが生態の発達に準じるとのことだった、

子供達の修練で技ばかりに目線が行くと次の成長につながってこない、

技を通じてその体の発達に大切なポイントを指導し、同じ目線で子供達の興味をいかに引くかが大切

ともに学び、鍛える、自分自身のために、相手のために

前多先生はいつもザックバランに腹を割った、ストレートな法話が気持ちよい、技を見ててもそれが解る、

自分のフェバリットなリーダーの一人である

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2008年02月07日

寅さんと教範学習

昨日の武専での講義は青少年教育と人の質とあった、生きるもの全てに宿るダーマはどんな意味か、動物やその他の生き物は自分を示す、自分を守る其の形は牙、であったり、鋭いつめであったりで、生きるということ表現するが、それは自己防衛にほかならい、しかし人間は心という武器を持つ、その心は自己防衛に限らず、自己以外の生き物への愛情をコントロールすることができる、そこに人としての質がどうであるかが大切

夜TVをつけたら、男はつらいよシリーズがやってた、日本の名画
寅シリーズの魅力は、人物以外に、見る者が誰でも、その場面の転回に引き込まれる、そう!やっぱりなー、と思わせる毎回の絶妙なストーリーである、

昨日もそうであった、おじちゃんが夢を見た、ふっと返ってきた寅がついに結婚するといいだす、と夢のはなし、おばちゃんも、サクラもそんなことはないといい、ありそうだなーと感じる、そこにとつぜん寅次郎が帰ってくる、寅さんの恋心に振り回される始まり、

ストーリーは周りの人たちを巻き込みながら、観てる人たちさえも引き込まれていく、相手のことを親身に想い、出来る限りのことを全力で解決していく、しかも人としてどうであるかを寅カラーで皆を染めていく、涙であったり、感動であったり、そこには日本人としの、隣の人への愛情、おせっかい、ガンコさ、忘れかけている人としての質、日本人としての魂を感じる

人の質、それはちょっと不器用な、自分よりも、相手への無償の思いやりを大切にすることだろう
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2007年09月24日

9 九月武専

今日は岐阜、松久先生の指導で始まった、
先生の基本は膝を柔核使い腰と運足の関連性を強調されてた、入り身千鳥、後ろ、横、差し替え、開き下がるにしても寄せ足からの膝の使い方、腰、体の動きを自薦されてた、進行方向に一度膝を、次に寄せ足からのうち膝で、金的を守りつつ、攻撃ほ方向に膝のよりを戻しながら蹴りこむとか、基本的に体の錬りを巧く使うことと、丹田の位置を高さを一定に保つようにすり足を巧く使って重心の安定を保つ

リーダー論をまとめると、自分をよく知ること、相手をよく知ること、そして、常に自分の目標に対して、自分をよりコントロールしていくこと、そして誰よりも努力する自分の背中を見せていくことを言われていた、

実技は志雄、林4段との柔法、襟抜き、腕巻き、送り天秤
林さんは賭け手にかかった上体でもう技がかかっていた、自分はかけての前に持たれた腕で先に操作していた、技の野でケースバイ、ケースなのだかかけ手に持って行く時に運足で巧く林さんは動いていた、運足は大切、自分はあまり動かないで自分の形に持って行こうとしていた、どちらにしても自分の形を作るときは、其の位置、角度、方向、が適切でなければ、安定しない技になる

剛法は転身系で
コレもやっぱり運足、膝の使い方、丹田の位置と、柔法も剛法も基本的に体の使い方は同じである

ただ自分は体が大きいので自分より小さい人と相対する時は少し工夫が居る普通にやると間合いが近いので蹴り込みの時膝上げをしっかりやらないとうまく蹴れない、
小さい人とやる時は引き下がり気味に、多き人とやる時は入り身的に
posted by 九竜 at 18:45| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする