2009年12月12日

12月武専

本部講師hじゃ青森八戸 原先生

守主攻従について 
守りべき采配の実として 青森八甲田山の雪中行軍を礼に
プロジェクターを使って説明なされた

日露戦争の戦略演習としての 真冬の演習での
天地を分けた結果を話されていた

この映画は見たことはある、リダーたる1人の決断で
199人が亡くなる

もう1人のリダーの判断は全員無事だった、しかもほとんど
同じ日、時間に同じところを通過している

しかしそこには時代背景や階級制度、軍力の横暴さなど
ひとえには判断しかねる

ただし全員無事での帰還部隊は的確な事前演習と情報収集
万全な順部での計画実行だった

リーダーたる1人の決断力は的確に人をまず守ることからの
判断力から始まってる

戦争は階級の低いものは虫けらみたいに扱われる
そして生き残るものは階級の高いものだけ

戦争を始めたものが生き残り、戦争をさせられたものが死んでいく
なんと悲しい事だろうか生き通じ理を感じるものである

実技は原先生の基本練習の意味合いから始まり 
受身の理など知らなかったことが一杯詰まった講習になった

本科も残り試験前となったので二年生だけでの
卒業試験練習としてもらった

武専にきていても同じ仲間と全科目を十分に練習する事はあまり無い
いつもはどちらが出来るかみたいな練習になるので

今回はこの時間を生かし十分に細かくそれぞれの考え方や
術の方法を互いに試すこととなった

武専も入ったときは確か15名くらいの同士がいたが
四年たったいまや 6名となった 北陸三県から毎月のように
参加するのは 先生はじめ拳士共に大変であろう

地元拳士にとっては多少なりとも時間の理があって有利である
富山、福井の皆さんには頭が下がる

今度試験を受ける仲間三人も地元、隣県である

帰りに歳越の挨拶と試験の合格を決意しての別れとなった
今日の試験練習に言い出した事で十分に確認できた事が
互いに嬉しかったか 皆さん来年の決意を互いに高めていた

来年は高等科 早くも四年たって、あと七年上手くいけば
その七年も早いだろう 充実した11年を互いに切羽琢磨した
技の取得と友情関係を深めていこう

同士に感謝
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2009年11月27日

9月度武専

本部講師福岡春日西の竹尾先生

先生はいきなり自己紹介で俺の名前、
五十志は54歳の時に出来た子供
と、昭和前後こんな名前の付けかたがいろいろあったと

自分の年代ではそうそう、解ります

家の爺さまは八十ニという名前だったが、
果たしてそんな歳子に生まれたのだろうか、不明である

先生のリーダー論は
声が小さくまるで含み呼吸で喋るかのようで
半分以上聞こえてこなかった、
まさに達人技である
これを聞けた人は最前列か!いやそうでもないようだ

多少判断できた内容は
少林寺拳法とはその修行形態に一つの最終人間像があると
他武道やスポーツの多くは人を育てることは合っても
一つの家族のような集合体に収まって行く事はあまりない

個人としての形、集団としての形、
修練のあり方に違いがある

何故だろうか、個人の技を高める傾向と、技の修練形態で
人を重んじるあり方との違い
これはわれわれリーダーを目指す
拳士への宿題とする問いかけでもある

前回講師の愛媛、合田先生も一つのキーワードを講義の中で
さりげなく問いかけていらっしゃった
「俺達少林寺がどこかの流派より最強と
いまだに言っているとこがある
  そんな奴らはばかじゃないか!と」

自分達はこの最高に練磨した
芸術的な武道のエッセンスと人間という
とてつもない素晴らしさを社会に実践すべきことが
リーダーとしての役目

そんなことを言っておられたようである


実技では竹尾先生の声はいまだ含み呼吸的に聞こえては来ないが
実践の形を強く修正せよとのことで

まずは引き下がって下受けの受け方を示された
下受けで皆横に手を出しているがそんなのつかえね〜と
構の胸前から下段突きを出すようにした受けすると
そうしないと何のタメの下受けなのか意味を考えよと

これは自分もそう思ってきた
中0先生達人もこのことを強く指導されてた

体の使い方捻転の方向に逆割らずに、力の進む方向へ
突き、ケリを正しく持っていく、前に出る時も下がる時も

それから運ポの理念を示され、ただ差し替えたり動いたりしないで
腰の重心を上手く移動させる事が重要でその為に差し替えでは金的
を守りながら十字に膝をクロスさせるところへ腰の重心を上手く無理なく
使う事でさらに移動する時間が早くなる

体全体の動きが何処からくるのか、何処が最初に動き出すのか
客観的に自分を見ることで力の方向が見えそこに重心を上手く載せていくことで、スムーズに移動する事が出来ると

上受け突きの動きから素早く移動できる理を説明されていた

今回は先生の講義のほかはあまり内容的にこれといった
収穫はなかった

基本の理を考え、其れを研究しあうとなる、武専だが
ともすると、自分でやった方が勉強になる
今回は研究意識の強い仲間達が総休講とちょっと寂しい

其れと最近は足腰固くショートでのけりが上手く上がらない
年齢的どうしようもない症候群か

まあもう少し練習の仕方を少しずつ分けて足りないだらけの
部分を、意識的に埋めていこう

今回も少エネ的な先生の技を垣間見た、

少林寺拳法は基本的に
骨格筋肉を上手く使いこなし健康になっていく修行と

ココに少エネの秘儀がある
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10月度武専

リーダー論は日常での実践についてどのようなことを
心がけているかであった

本部講師は香川県、高瀬道院 香川先生
武専各科の代表に尋ねて 発表となった
印象に残った発表は 先日の山崎先生の
調和について 小松西のTさんの言葉だった

少林寺を修行して自分が変わっていくと思ってたが
そうじゃなくて日頃の自分自身の生き方や行ない
姿勢そのものが正しくなければ何の意味もないし

自分自身が人としての目標を持って
必要なだけ大いに変わって行く事が
たいせつであると 言っていた

実技は常に基本の理への追求である
差込からの体重の置き方 連攻への身体の構

腰からくる突きへの軌道や蹴り どれをとっても
納得の技である 

本部先生より越前府中の掘りえ先生の講義の方が面白かった
面白いといっては失礼だが

先生は技の基本の理より 技の使い方 応用的な考え方を
いくつも指導されていた、基本的には相手の攻撃の方向を
どう感じて 其れを無にする、攻撃力をいなす、反対に
返していくである

考えて見れば当たり前の事であるが、あんまり技に固守して
周りを見ていない感がある いくつもの方向や法を見逃している
一つ二つの先より 技の形に固守しない バリエーションを
手に入れよう

圧法の前多先生の講議はいつ受けても実践的である
定義よりやってみろである、理屈の先より 結果はこうであると

出来なければ意味がない 順応性の高い指導力である
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2009年07月20日

7月武専

7月武専 とりあえず号 実践

名前:九竜 日付:7月7日(火) 23時7分

今日は本部講師 愛媛の合田先生
本部武専の研究科ももたれてるそうです

とにかく人間がハッキリ、ハラの中には何もない
人間味のある先生です

先生のダーマ信仰の日常的実践は
人の心そのものの、付き合い方、嘘偽り、ではなく
ハラの割った 付き合い方から
信じる相手への心の、生かされる、自分を見つけて
行ける真実の向き合い方を実践することである

今日は先生の得意練習で仁王受けの応用をやった
連攻反撃でのた応用なのだが

普通 ̄受け十字受けとするパターンを
開きさがって外受け、打ち落としの仁王受けの実践
ガンガンやらなければ意味がない

其れを出来る相手とやれ
相手を自分のレベル、体の大きさ、やっても反感をもたれない相手を
選んでの相対練習をやれと

演武なのだが実践的にと

一瞬皆さん周りを見渡し選んでいる、
自分は前の人より他にと思って振り返ると、乱捕りカリスマ
S先生がいた、日ごろからでも技の練習には手を抜かない人である

まあいいか、今日は習うほうなので少しの手加減はあるか!

そんなことはない、最初はユックリ、だんだん早くが

いきなりトップスピードで蹴りが来る、まあやるしかないので
ガンガンやる、けりが又強いんですが

仁王受けで受けたとたんに同時に蹴り返す
自分も蹴りはまあまあ早いのでで負けることはない

しかし他の人たちが2回くらいやる間にこちら間連続して
既に5~6回はやってる

どちらも意地になってはいないか
S先生は途中から蹴りがあがってこなくなった
息も上がったのか、汗を拭く

こっちの方が年寄りなのだが

そんなやり取りで、一時間程バリエーションをやった
剛的練習の後は少しの充実間がくる

しかし、時間がたつにしろ、右手が上がらない、
一字構えができない、指が全部お辞儀していいる

合掌が右手できない

あれれ!

強い蹴りを延々と受けつつけて、筋肉がバカになっているんだろう
今コレを打ち込んでいるが、右手指は握ったら開かない状態

開いたらすぐにしぼむので、左手で打ち込みしている

しかしたまにはガンガンやらねば

先日入った極真の人のけりよりS先生のほうがすごかった
拓大の猛者を実感

今日もまた感謝 この年でも負けない技を磨こう

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2009年07月19日

6月武専



6月武専

名前:九竜 日付:6月12日(金) 9時41分

本部講師
薩州出水 上原先生 群馬新田 高橋先生

上原先生の講義は調和について
久しぶりにマシンガン的口調を聞いた、まるで大学の講義
みたいだった、
こちらが真剣に聞き漏らさず聞いていないと何がどうなって
こうなるのかさえわからなくなるようでしたが
先生はしっかり 講義文章のアンチョコを用意してくれた
たった50分の時間では入りきらないほどの参考資料で

家に帰ってしっかり勉強せよと言う事だろう

釈尊の教え、達磨の教え 二人四行を現代に生かす道として
釈尊の遺教を金剛禅の中核に添えながら
釈尊のとかれた中道と言う言葉を使用せずあ
えて 調和とした

自分だけではなく、相手だけでもない
互いに人として本質的に平等であると言う信念をみにつけよう

術科は
上原先生の送り小手だけの講習になったが、短い時間でその
法をじっくりとまでいかなかった

おもしろいことが起きてしまった
本科で始めての相手と組んでの練習になった
相手も三段か四段であるが
互いに送り小手が掛からない

こんな事は初めてで、自分も掛けられて掛からない
ことは初めてで ちょっとショック

相手にも自分的にやるとかからないが
上原先生的に三角法でやるとかかるが
相手は自分へ三角法やイロイロ
やって掛けようとするのだが掛からない

ネット相談役の千葉浦安 K 先輩に聞いてみた

>法形は我々の真理探究の形です。
各個人にその技術に対する真理は、師から受け継ぐ過程、状況、時期によって様々です。

先ずは自分の形、真理を相手に押しつけず、どの様な押し付けにも自分の真理探究は曲げないように私はしています。

相手は何を求め修練していたのか?
自分は今何が必要な修練をしているのか?
色々問いかけてみると面白いかも知れませんね。
答えは自分でしか導き出せません。
だから拳法面白いのです、

よくあることですよ。
まして高段者の先生同士が修練している状況でも
同じ事がよく起こります。

悪い所はないと思いますよ。
少し見方を変えてみると良いかも知れません

そうなんです自分の技にこだわりすぎていたかもしれない
良い勉強になった 引き合わせ相手に感謝です

高橋先生は若手現役らしい技の切れ、実が素晴らしい
身体は小柄なんだが、そのスピード、基本的な体の
動かし方まさに一つの理想形である
自分も若ければ目指したいところである

根本的な少林寺拳法らしいその理を使い切らなくては
意味がない、最近の自分の練習はこんなところを
しっかり意味合いを持たせてやれるよにしている

今回はまた凄いものを見せていただいた
また拳法が楽しくなる

posted by 九竜 at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

5 5 5月武専

5月武専

名前:九竜 日付:5月13日(水) 19時7分

今回の本部講師高知中央の鎌田先生

先生は初期の田村先生のお弟子さんで
開祖直属のスタッフとして36〜48年
位尽力されたかたで

教範の写真、NHKで始めて少林寺拳法
放映された時に演武をされた、写真右手本人
新教範149ページ
に掲載されている

先生のリダー論は易筋行についてで
ダーマたるゆえんの精神と人間の生き方を
内と外でバランスよく鍛える行だとおしゃっていました

開祖崩御後、少林寺空手か喧嘩かわからんように
なってきた傾向をしっかり初始に返ってなぜ少林寺拳法
なのかを、生きて人つくりの行を実践し自己確立の行の
大切さを諭されていた

先生の実技はもちろん実践的な元来宗であった少林寺拳法の
魅力を語るに十分過ぎる技の数々である

剛も柔も同じ法であって、そのコツは運足である
攻撃間合いのとり方、相手の正中線をいかにはずし

いかに有利に自分の間に入って反撃するか
全てに有効な運足からの身体の使い方を魅力を
説明されていた

単なる武道とは違う技の意味合いが護身という
その使い方にあると言わんばかりに、積極的に
指導なされていた

69歳である、疲れも見せないその情熱は凄いとしか
言いようがない

又先生に見せられ、少林寺拳法の魅力に入る

posted by 九竜 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

4月武専

今回は大阪武専の大崎先生の講習

術科での先生の技は相手との
すれ違い様に崩す省エネ術がたくさんあった

コレは本部講習での山崎先生的技である

開祖もふっと、喧嘩の中に入って出てきたら、
みんな倒れていたと同じ

何もやるかー、負けないぞとやる必要はない

まあまあと、興奮させずに ふっと倒してしまうことが望ましい

お互いの力関係が発するまえに
相手と自分の力を無力にして崩してしまう

ヒントはイロイロ見つけて自分の物にしていこう
片手、両手、諸手、つかまれた位置と力の方向を感じることが
崩しの方向をみつけていける

基本はつかまれたら相手の肘を落とす

そんな豪快な技ではない、あれ〜と 思ったら崩れていく

子供達や大人さえも、楽しみながら習得していける

今回は力まず、柔かく、日常感覚が よかっyた
posted by 九竜 at 20:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月17日

12月武専

高知、門屋先生

態度や行動で示す事の重要さ
多くの人は、人には指示するが、自分は曖昧になる事が多い
そして、まず自分が示し相手の立場にたっての目線が大切

開祖の語録から大切なポイントをおっしゃられた

自分に当てはめて、まだまだ自分こそが曖昧だなと反省


前多先生の教範学習 法形の意義

先生の話はいつも興味をそそる、会話術である
少林寺拳法の法の持つ意味は
法は目的の為の共有、互いのバsランスを整える

何故少林寺拳 法なのか!形という書意なのか
もう一度考えてみよう

法はその教え、ダーマの真理たる方向である
それがゆえに互いに求め合い、支えあう、そして目的にまい進すべく

形はその意として、変わらない、道はイロイロあるが、形は目的の為の
道筋、変わらないこそその真理と、目的に迷う事なく到達してゆけるものである
そしてその形や法は一夜にして出来たものではない、長年の開祖や先人たちの積み重ねによって形で、間違いのない、意味のある真理である

門屋先生の

実技は強固、柔軟といえる攻撃線の強い魅力的な技である
崩しからの素早い投げや外し、突きや蹴りにしても相手のスキや、反撃要素を一瞬でも与えない技である

攻撃力のポイントや崩しの理論が素晴らしい、最近は復習に自分の手法を沢山取り入れることが出来るようになった

同じレベルには誰もがすぐにでも到達できない、一つの理念を崩して自分なりに、組みなおして幾事が大切である

少林寺拳法は何処まで深いのか突き進む興味が又沸いてきた
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11月武専

熊本 古賀先生のリダー論は
信頼信用を造るためには、まず相手を信用する事から始める
有言実行で約束や自分の行動、言葉に責任と実行が不可欠である
そして先の見通しと急な変化に起こる対応できる読みを日ごろから
見につけることが大切で

まさに法形の中に其れがあるし見つけていかねば、」意味が無い
とおっしゃってた

前多先生の圧法は相変わらず普遍的である、脳活の再生の秘攻は
わかりやすく、ずいぶん日ごろからの実になる

何が一番というと、先生の会話術である、常に親近感が持てるザックバランな言葉と要所を押さえた無駄のない言葉には誰もが好感うぃ抱くのだろう

圧法研究会も毎回神戸や他県から何人もの研究生がs段かしているようだ
自分も一応研究助会員なので参加をして行きたいのだが、なにせ時間があわない

実技は奈良向田先生
先生の技はまず使えなければ意味が無いとした、実践的な法が凄い
近距離からの相手の連攻や攻撃線を難なくかわしの引き身や運足の使い方で素早く受けいなし反撃に出る

武専生徒ですぐに出来る人はいないようで、皆もたもたになっている
ただ殴りあいや、蹴りあいの武ではこんなことがないが、少林寺拳法の護身を用いた考え方だと、こういった瞬間の攻撃の瞬間的に身体反応を常に用いることで、守り反撃していけるのだと思う、自分もこんな系統で研究mしているので、ためになる

何もやるかー!おう、掛かって来いの世界ではない、瞬時の強姦にも常に、瞬間的に制する技の世界を目指そう

古賀先生の柔法はなんか、力が抜けたような、全然こっちが力を入れても だまされたようにフワーッとかわされた、これはなんだろう

ポイントはわかるのだが、まだ100年早いみたいだ
posted by 九竜 at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月11日

9月武専

.武専日記

名前:九竜 日付:9月7日(日) 19時51分
本部講師は舞鶴の清野先生は森道期先生の弟子だそうで、自分も森先生式の柔法を目指しているので、今日は探求心と好機心でいっぱいの日になった、
先生は時間と空間を大きな視点で捉えていくとダーマに繋がる、一つのことや一つの考えさえもその根源を探求していくと宇宙になると、
技の探求、修練もその人の持つ可能性は大きな極めや悟りに繋がる
其れは自分自身の大きな心の変革に繋がる、そして自分が変わる事で進化した自分に出会う、
金剛禅の教えはそんな技の修練を通じて己の自己改革と相手とのつながりや、思いやりによって、社会に役立つ人つくりになって行くものでなかろうか、と行った法話であった

技術についてはそのセオリをしっかりわかって、やることの重要性を説いていた、一つの基本を間違いなく伝える、判る、こんなことさえ、中途半端にならないよに
送り小手の」ベースポイントを見本に説明なされた、
巻きぬきからのの小手抜き、重要ポイントである
指二本で崩していた、

今日の本科科目は自分の研究課題の、外巻き落とし、巻き落とし、襟抜き、木の葉送り、木の葉返しなどで、自分の得意とする技系

崩しや落としの意味がわかっても、投げるとこまで皆いかない
自分は投げまでは行かないが、外し、崩し、落としの理をもっているので 今日は皆さんを相手に沢山放り投げさせてもらった、

特に自分くらい大きな相手、体重は自分より重い、相手を何回も投げた
のは 今日の花丸である

先生は崩しのポイントだけさりげなく説明されていたが、これは技の先入観を混同させないように、基本の指摘になっていたのだるう

大いなる今日の収穫

posted by 九竜 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする